グランディ・21 宮城県総合運動公園

スポーツ医科学情報提供事業

「障害者スポーツとは」

東北福祉大学 教授      
宮城県障害者スポーツ協会 会長
小玉 一彦          

<スポーツの生活化>

近年、子どものスポーツとか高齢者スポーツ、障害者スポーツというくくり方をして対象者別にスポーツを分類することがよくあります。スポーツ実践において発達段階を考慮し、世代のニーズやレベルに対応し、障害に配慮・工夫することは当然のことですが、その対象者だけに限られたスポーツがあるわけではありません。むしろ、その人の興味や関心、動機や目的に応じて自由に取捨選択し実践しています。特に今日、社会生活において健康に対する意識が高まり、生活の質(QOL:クオリティ・オブ・ライフ)の向上を求める人々が増えてきていることを背景にスポーツに対する認識が多様化してきています。長い間、スポーツという文化は身体能力に優れ、高い技術を有した若者たちに支えられ独占されてきましたが、今やすべての人々にとって生活を潤し、人生を豊かにする価値ある存在、意義のある文化的営みであると考えられるようになってきました。言わばスポーツの生活化の時代に入ってきたと言えるでしょう。

 

<国民の権利としてのスポーツ>

このような時代状況の変化を受けて、2011年、スポーツは世界共通の人類の文化である? の前文で始まる「スポーツ基本法」が公布・施行されました。子どもからお年寄りまですべての国民がスポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む「権利」があることを明文化した画期的な法律です。1961年、体育・スポーツに関する「スポーツ振興法」の制定以来、実に50年ぶりの全面改訂になります。文化としてのスポーツのもつ社会的な価値・意義、その果たすべき役割を認め、スポーツ実践を通じて健康で活力に満ちた長寿社会の実現に向けての環境整備が必要であるとしています。そのために政府が法制上、財政上、税法上等の措置を講じなければならないとしている点も重要です。さらに特筆すべきこととして、第1章基本理念の中で「障害者のスポーツ振興・推進」の必要性、第3章基本的な条件の整備の中で「障害者の安全の確保や利便性の向上」また、競技水準の向上では「国民体育大会」と並列して「全国障害者スポーツ大会の開催」が規定されたことです。これは障害者にとっても日常生活における楽しむスポーツの実践からパラリンピック選手などトップアスリートの養成・強化に至る環境条件の整備・推進を想定しているものと考えられ、今後の発展に向けた根拠たり得る法改正と位置づけられるでしょう。今後、国や地方公共団体はスポーツ施策の総合的、計画的推進を図るため「スポーツ基本計画」「スポーツ推進計画」を定めなければならないことになっており、地域における障害者スポーツのさらなる発展と競技力向上に向けた対策が一体になって推進されていくことが大いに期待されます。

 

<障害者とスポーツ>

障害者は身体障害、知的障害、精神障害の3障害に分類されています。身体障害には肢体不自由、視覚・聴覚障害、内部障害に区分され、知的障害もダウン症や自閉症、てんかんなどに代表される種類があります。また精神障害の場合、身体・知的障害はある程度障害レベルが固定化しているのに対して、現在も治療が必要なケースや今後また再発、再燃する危険性を伴う慢性疾患として考えられています。このようにひと口に障害者と言ってもその種類や程度が個人により様々であり、医学的処方のもとで行われる機能回復訓練(リハビリテーション)としての運動は別として、予期せぬ動作を伴うスポーツなど身体活動を行う際はまず障害の特徴を十分考慮し安全が確保されなければならないのは当然のことです。その障害があるために出来ないこと、危険を伴ったり二次障害の恐れがあるためにしてはいけないことがあるためです。したがって、「障害者スポーツ」とは、3障害の特質や疾患の状況に配慮し、その障害に適合(合致)させたスポーツ種目、競技を総称する呼び方だと言えます。特別に障害者だけに限定したスポーツとか何か特殊なジャンルがあるわけではなく、彼らに合わせてルールや用具等を変更、改良、工夫した各種スポーツだと理解することが大切です。

 

<戦傷者のリハビリからパラリンピックへ>

イギリスストークマンデビル病院脊髄損傷科の初代科長に就任した整形外科医、F・グッドマン博士は第二次世界大戦激化の下、急増する傷病者の医学的治療と早期の社会復帰を目指して手術より積極的なスポーツの導入を勧めました。その成果を発表する院内のスポーツフェスティバル(車イス使用者16名によるアーチェリー大会)が評判をよび、徐々にヨーロッパ各地に拡がりをみせ、1952年以降「国際ストークマンデビル競技大会」へと発展しました。戦後オリンピックの再興、復活を強く意識した博士(パラリンピックの父と呼ばれる)は第9回大会(23ヶ国400名が参加。のちに第1回パラリンピック大会とされた)をオリンピック開催地イタリアローマで開催することに成功しました(第1回冬季パラリンピックは1976年スウェーデンで開催)。当初この大会の参加者は一部の肢体不自由者(車イス使用者)に限られていましたが、第5回大会(1976年)から切断者と視覚障害者、次に脳性マヒ者(1980年)、知的障害者(1996年)と順次参加者の拡大が図られ、発展してきました。パラリンピックの呼称は1988年ソウル大会からParallel(並行した、同等の)のパラを意味づけるようになりましたが、それまでは出場者であったParaplegia(対マヒ者)のパラとオリンピックの合成語が由来とされています。

※聴覚障害者スポーツの歴史は古く、1924年には国際ろう者スポーツ委員会(CISS)が設立され、この年から4年に1度「デフリンピック」を開催しています。

 

<世界最高峰の「もう一つのオリンピック」を目指して>

1989年国際パラリンピック委員会(IPC)はより多くの障害者にスポーツの「機会均等と完全参加」、「卓越した障害者の技と力を競う場」の提供を目的に設立されました。特に開発の遅れている国や地域のスポーツ振興、及び重度者や知的障害者、女性のスポーツ参加の拡大等にも力を注ぎました。一方、従来の「参加型」とも言えるパラリンピックを改め、個人競技には標準記録や国際ランキングの導入、団体競技には予選通過を義務づけるなど競技性重視の傾向を強めてきました。さらに、オリンピックと同等の価値を有する高度で成熟した真の競技大会にするために、国際オリンピック委員会(IOC)との協議を重ね連携を模索してきました。その結果、2000年以降、IPCは「オリンピック開催都市は引き続きパラリンピックを開催しなければならない」、「組織委員会はパラリンピックも担当する」、「パラリンピック開催に伴う財政的援助を義務づける」などIOCによる詳細な支援を取りつけ、パラリンピックが「もう1つのオリンピック」と認識されるよう基盤整備に務めてきました。

 

<わが国の障害者スポーツ大会の経緯>

戦後間もなく、わが国においても身体障害者を対象にした自治体レベルの体育大会、運動会が開催されてきました。しかし、必ずしもルールにのっとったスポーツ大会やましてや競技大会という様相ではありませんでした。むしろ「まだ多くの役人や医師、マスコミ関係者に見世物にするとか危険なことだ」(1961年当時の回顧談より)と批判されたり、猛反対を受けたりしていた時代でした。徐々に戦後復興が進む中、わが国の障害者スポーツを全国に広める大きな契機になったのが1964年東京パラリンピックの開催(東京オリンピック直後に国際身体障害者スポーツ大会として開催)でした。そしてこの大会の成功を機に、すべての身体障害者を対象に「体力の維持、増強、残存能力の向上及び心理的、社会的更生の効果を図り…国民の理解と関心の高揚…身体障害者の自立と社会参加の促進に寄与」する目的で、翌1965年から「第1回全国身体障害者スポーツ大会」が「秋季国体」後に毎年同県において開催されるようになりました。この大会は第36回大会(2000年)まで持ち廻りで開催され、身体障害者スポーツの全国的普及のきっかけを作り、地方の振興、活性化や障害者への理解の促進に多大な貢献を果たしてきました。また障害者がスポーツと出会い、競技者に成長していく1つの「登竜門」としての役割をも担ってきたと言えます。

※知的障害者を対象とした全国規模の大会としては、1993年「国連・障害者の10年」の最終年を記念して、厚生省主導の下「第1回全国精神薄弱者スポーツ大会」(愛称ゆうあいピック)が開催されました。2000年まで8回継続開催されました。

 

<宮城で身体・知的の「統合大会」開催>

身障者国体、ゆうあいピックの愛称で2000年まで別々に開催されてきた2つの全国大会は「リハビリの成果を示す」ことを主眼に、言わば国の厚生行政における障害者福祉施策の一環として開催されてきました。一方、1990年代以降国際的に競技性を主眼とするパラリンピックが隆盛し、日本人選手の活躍等もマスコミを賑わす状況が生まれてきました。1998年、長野パラリンピック冬季大会はそうした環境の変化の只中で開催され、大成功を収めました。マスコミ各社が“障害者スポーツの歴史に新たな1ページを刻んだ”と評したように、この大会は世界のアスリートが示す高いパフォーマンスによってすでにリハビリの延長としてではなく、記録の限界に挑み、人間の可能性を追求する真のチャンピオンシップスポーツ大会であるという新たな認識を深める契機となりました。この成功を受け、国、地方自治体、関係団体等は今後の障害者スポーツのあり方を見直し、新たな理念のもと様々な環境整備、支援体制の充実を図りました。その改革の1つが、新世紀の幕開けの2001年から「競技性を加味し」身体と知的障害者を統合した「全国障害者スポーツ大会」を開催することでした。この大会は第8回大分大会(2009年)から精神障害者と一部内部障害者を正式に加え、名実共に3障害者が集う国内最大の総合スポーツ大会になりました。

 

<わが国の障害者スポーツの現況>

日本の障害者スポーツは第1の創生期(1960年全国大会の開催)から第2の変革期(1998年長野パラリンピック以降)を経て、今日第3の発展・充実期を迎えようとしています。公益財団法人化(2011年)された日本障害者スポーツ協会(含日本パラリンピック委員会)及び各競技別団体、地方スポーツ協会、指導者協議会が中心となり、今日まで障害者スポーツの大衆化と高度化に向けた様々な活動を展開してきました。地方においては障害者が安全に安心して利用できる優先施設としての障害者スポーツセンターが現在23ヶ所設置されています。また、ジャパンパラリンピック大会や日本選手権のような競技性の高い大会の開催や様々な障害別大会、イベントなど地方を含め盛んに行われるようになってきました。

しかし現在、少子・高齢化が急テンポで進行するなか、障害のある子どもたちのケア、重度・重複障害、高齢障害者への対応、対策などスポーツ分野において極めて不充分な状況があると言わなければなりません。また一方、競技スポーツ分野においてもオリンピックとパラリンピックの扱い方には歴然とした格差が存在し、今後に向けた改善が強く指摘されているところです。(関連URL※1参照)

 

<宮城県の障害者スポーツ>

県内には障害者スポーツ活動を推進・統轄する組織として、宮城県障害者スポーツ協会(1988年設立)と仙台市障害者スポーツ協会(1991年設立)があり、日本障害者スポーツ協会の協議会に加盟し活動しています。協会には各種加盟団体と有資格者で組織する指導者協議会を各々有し、連携・協力を図りながら事業を展開しています。全国大会の予選・選考を兼ねた各種スポーツ大会をはじめ、スポーツ教室、講習会などを一般の各競技団体、障害者スポーツ指導員、大学や専門学校等のボランティアの協力のもと年間を通じて開催しています。また東北ブロックの中心メンバーとして、その連携・強化を図るべく毎年、情報交換会を兼ねた連絡協議会や研修会を持ち廻りで開催しています。近年、県内では陸上競技、卓球、車イスバスケットボールなどパラリンピックや国際大会において日本を代表する選手やチームを輩出しており、その活躍はしばしばマスコミにも取り上げられ多くの県民の関心、共感を呼んでいます。次世代を担う若いアスリートたちを大いに励ましてくれているものと思います。このように競技志向を強める仲間たちも増えてきており、より高い専門性を持った指導者の確保や指導体体制の充実が今求められています。

「ひとりでも多くの障害者にスポーツの喜びを!」の理念のもと設立されたスポーツ協会の活動は本県における障害者スポーツの普及・振興に一定の役割を果してきました。今後、さらにその質と量を高め拡大していくために、県民の理解と協力のもと行政機関、民間団体、関係諸機関との連携、共同を進めながら、地域づくりの一翼を担っていかなければなりません。

※県内には知的障害者のスポーツを支援する「スペシャルオリンピックス日本・宮城」(1995年設立)が精力的に活動を展開しています。各種スポーツの継続的なトレーニングとその発表の場を提供しています。4年に1度全国大会を開催し、世界大会へも選手を派遣しています。(関連URL※2参照)

 

<これからの課題>

すべての障害者がリハビリスポーツや楽しむスポーツ、競技としてのスポーツを自由にいつでも、どこでも、いつまでも生活の中に取り入れられるようになることが大切です。そのためにはまず、障害者の基本的な生活基盤、条件を支える医療や福祉、就労や教育などの充実・改善が必要です。その中で余暇活動、文化活動としてのスポーツ享受のためのハード、ソフト両面の環境整備が行われていくことが望まれます。幸い昨年「スポーツ基本法」が施行され、従来までの厚生労働省管轄の枠を越え文部科学省との連携も強めながら一体的支援体制が構築されようとしています。21世紀を迎えた今日、スポーツを通じたノーマライゼーション(共生)社会の実現に向け、より一層の取り組みが期待されているところです。

以下、いくつかの当面する課題をあげておきます。

?身近な地域で誰もが親しめる施設の整備やバリアフリー化の促進

?障害者のスポーツ指導ができる指導員の養成・研修と配置の義務化

?障害者向け用・器具の設置、ニュースポーツ、プログラムの開発

?次世代アスリートの発掘・育成のための支援システムの構築と経済的支援

?スポーツ医・科学研究の障害者スポーツへの援用

?マスコミによる情報の拡大・拡充、民間企業の就労・財政的支援

?重度、高齢障害者等への啓発と医療・福祉施策の充実

?学校教育における福祉教育、障害者スポーツ理解の推進

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【関連URL】


※1 日本障害者スポーツ協会:http://www.jsad.or.jp/

※2 宮城県障害者スポーツ協会:http://www3.ocn.ne.jp/~kensupo/
   宮城県障害者スポーツ指導者協議会:http://www16.ocn.ne.jp/~mssk/
   仙台市障害者スポーツ協会:http://www1.odn.ne.jp/sdsa/
   仙台市障害者スポーツ指導者協議会:http://www.tatunet.ddo.jp/sen-shikyou/
   宮城県視覚障害者福祉協会:http://www17.plala.or.jp/KENSHI/
   宮城県ろうあ協会:http://www.d1.dion.ne.jp/~miya_rou/
   スペシャルオリンピックス日本・宮城:http://www.son-miyagi.jp/

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参考

<宮城県障害者スポーツ協会加盟団体・宮城県内の障害者スポーツクラブ>

団体名称 種目 対象者
宮城車椅子マラソンクラブ 車いすマラソン 下肢障害・車いす使用者
仙台ウェルチェアー
テニスクラブ
車いすテニス 下肢障害車いす使用者
宮城県身体障害者スキー協会 スキー 身体障害者
仙台福祉メイツ 野球 身体障害者
東北チェアスキークラブ チェアスキー 下肢障害・車いす使用者
東北福祉大学ハンディスポーツアドバンスチーム スポーツ全般  
杜の都アーチェリークラブ アーチェリー 身体障害
仙台シャトル バドミントン 身体障害
仙台視覚障害者ランニングクラブ マラソン 視覚障害
宮城県車いすダンス協会 車いすダンス 身体障害
宮城県立聴覚支援学校 スポーツ全般 聴覚障害
りっぷるテニスクラブ 車いすテニス 下肢障害・車いす使用者
宮城県立視覚支援学校 スポーツ全般 視覚障害
みやぎ身体障害者水泳協会 水泳 身体障害
宮城SPARKS 車椅子バスケットボール 下肢障害・脊椎損傷車いす使用者
リベラル仙台BBT ツインバスケットボール 頸椎損傷・車いす使用者
社会福祉法人共生福祉会 陸上競技全般 身体障害
社会福祉法人臥牛三敬会
虹の園・第二虹の園
スポーツ全般 身体障害・知的障害・聴覚障害
みやぎ障害者バドミントン協会 バドミントン 身体障害・知的障害・精神障害
宮城県障害者陸上競技協会 陸上競技全般 身体障害
宮城県障害者卓球協会 卓球 身体障害・知的障害
社団法人宮城県ろうあ協会 スポーツ全般 聴覚障害
フレッシュ仙台卓球クラブ サウンドテーブルテニス 視覚障害
スペシャリスト・アスリートクラブ 陸上競技・卓球・ サッカー 知的障害
東北バーンゴルフ協会 バーンゴルフ 身体障害・知的障害・精神障害
仙南チャレンジド・ スポーツ・クラブ スポーツ全般 身体障害・知的障害
仙台大學障害者スポーツサポート研究部Co-Act スポーツ全般  
仙台FIDスポーツクラブ 卓球・バスケットボール 知的障害
日本電動車椅子サッカー協会
東北ブロック協会
電動車椅子サッカー 脳性まひ者 電動車いす使用者
リフピック 知的障害者スポーツ全般 知的障害
石巻IDスポーツクラブ サッカー 知的障害
宮城車いすハンドボール協会 車いすハンドボール 身体障害
 iスタジオの会 ストレッチ体操・ ダンシング 身体障害・知的障害
みやぎ精神障害者スポーツ推進協議会 スポーツ全般 精神障害
財団法人宮城県視覚障害者福祉協会 スポーツ全般 視覚障害
宮城スポーツクラブ ソフトボール 知的障害
みやぎ障害者フライングディスク協会 フライングディスク 身体障害・知的障害・精神障害
日本障害者スポーツ サポート研究センター 障害者スポーツボランティア支援・派遣・スポーツ指導・団体支援  
仙台障害者ビームライフル クラブ ビームライフル 身体障害
チーム・クルー 足動車いすホッケー 身体障害・片麻痺者
宮城STTクラブ サウンドテーブルテニス 視覚障害
(財)日本スポーツ吹矢協会
杜の都仙台支部
スポーツ吹き矢 身体障害
チームZUNDAクラブ フロアーバレーボール 視覚障害
宮城MAX 車椅子バスケットボール 下肢障害・脊髄損傷・車椅子使用者
仙台市グラウンドソフトボール グラウンドソフトボール 視覚障害